【頑張れ!】

陸上部(長距離)に在籍した同級生が「駅伝の大会なんかで沿道からコレを言われると腹が立つ」と言ってた。
「言われなくたって、おめーよりは頑張ってる!」というのがその理由。
これを聞いた時、「コイつ、なんて曲がったヤツなんだ」と思ったが、やっとその本当の意味がわかってきた。

「リーチがあるから左に気をつけろ!待ってカウンター!!」

大声でアドバイスを飛ばす目の前を、ゼェゼェと息を切らしながら我が子が相手を追いかける。瞬間、「あっ」と我に帰った。
子供が息を切らして苦しそうに目の前を通り過ぎる姿を見て、やっと気付いた。

「戦ってるのはオレじゃない」

頑張ってるなら協力して支えてやればいいが、勝つことだけを強要するのは親のエゴ。こんな簡単なことにそれまで気付かなかったのだ。
頑張るのも頑張らないのも自分次第で個人の問題。「頑張れ!」は第三者が云うべき言葉じゃないんじゃないか?と。
その昔、長男が中学三年生の地区大会。戦ってる姿を目の当たりにしてようやく気付かされた現実。以来、大会に行くのを一切やめた。

だからといって自分の持つ知識を子供に伝えることについては抵抗はない。
ある程度の強制が伴うにせよ、「生きているうちは俺がわが家のルールでいいんじゃないか?」と思うのである。
もともと何を持っているわけではないのだから、知識の財産分与はむしろ当たり前のことだ。




【トレーニングに付き合って】

こう言われたらもちろん協力した。練習メニューも骨格や筋力、体重から考えて作ってやった。でも結果を出すのは彼自身。
だから県大会も北信越大会もインターハイも、ついに一戦も見に行くことはなかった。試合を収録したビデオすら、今だ目にしていない。

今だから言えるのだが3男坊は極端に視力が悪い。0.1以下で、それも乱視のおまけ付き。ボクシングという競技には致命的。

ボクシングはリズムと間合いの凌ぎ合い。相手の攻撃は常に自分のインパクトポイント(体の中心)に向かって飛んで来る。
スピードがあろうが無かろうが、このリズムと距離感を多角的に養うことで「見なくても避ける・攻撃する」がある程度できるようになる。
結果としてそのハンディを持ちながらもインターハイ3回戦まで行ったのは、我が子ながら天晴れなのである。
プロのいるジムで教えられ練習している子が多い中、それこそこれはたいへんな結果で、とても満足している。




【うがいと手洗いです】

受験者約60名。代一次試験合格者20名。代二次試験の集団面接で「毎日心がけていることは何ですか?」の問いに対する3男坊の回答がこれ。
消防士になるためにという答えが模範的だったのか?わからないが、あいかわらずウチのバカどもは笑わせてくれる。
面接官のウケを狙ったワケでもなく、形式ばった「受かる為の」を考えて答えたわけではなく、彼はほんとうに「うがいと手洗い」を毎日実践している。
彼の真面目がこの一言であらゆる角度から見て取れるのだが、それがわかる人間がその場にはたして同席したかどうか?採用は2名とのこと。
こんなに上手く3男坊が自身を表現する言葉は他にないんだが。。。




【オンリーワンなんてクソくらえ?】

「唯一」なんてこと言い出したら誰だってオンリーワンだ。
競い合うからこそ、立ち向かうからこそ、その姿勢に対して共感を覚え感動するんだと思う。
ただ勝負事に事を限定したにせよ、単純に「強い」と「負けない」はまったく意味が異なる。
相手に頭を下げるとか、負けを認めることは実はとても勇気の要ることで、潔くて、とても難しいことだ。
ある程度妥協できること、協調性があることの方が精神的に苦しいし、なにより自分の自尊心と戦うことになる。
肉体的に強ければ勝つ可能性が高くなるだけで、強くても負けるときがある方が自然な解釈なのだ。
むしろ負けた時のほうが得る物が多いことを悟るべきだし、価値あることだと考える。

ウチの子供達が本当の「強い」という意味を理解するのは、さてさて、いつのことやら。