「イマドキ」に思うもの

某製パンメーカーの健康保険組合事務長が19億円を横領した事件の初公判が開かれた、と関連記事が出てましたねー。
その使い道が「愛人17人」と聞いて「すっげー体力!」と金のことより身体を気遣ってしまった世のエッチなオヤジはオレだけではないと思う。




先日、見附市に在住のW202/Cクラスに乗る常連さんが久しぶりに来店された。
最近、ミッションのコンピュータートラブルに見舞われ、「そろそろ色々出てくるのかなぁ」という思いから新規購入のセダンを模索中とのこと。

過去8年、それ以外のトラブルは皆無に等しかったそうだが、それゆえの決断か?

「山田さん、何がいいと思います?」



最近のヨーロッパ車を見渡してみれば...エンジンスペックを見る限り、今までになかったど派手な仕様も確かに存在するのだが、
それとは逆に「なんで?」と思えるような変更をもたらされた新型車もあり、これが欲しい!というインパクトに欠けるのも事実。

全てを進化と捕らえなさいと言われても素直に納得できないし、無理もある。

中でも「ぜったい無理!」と力強く思うところにデザインがある。

これについては意見の分かれるところだが、よく耳にする「そのうち見慣れるよ」という言葉をどう解釈すべきか?

そもそもデザインって見慣れるべきものなのか???


私の場合、「○○好き」という方向性を持った車好きではない。

分解・整備をこなしていくうちに日本車で言えばトヨタ党(絶対性はないが、そのパッケージのまとめ方が非常に上手い)になり、
その後、単純にA〜B間の移動手段・道具という捕らえ方じゃない方向(文化や先進性)からしてヨーロッパ車に興味を持った。
加えることここ降雪地・新潟はFFや4WDの需要が多い土地柄でVW、Audiといった車が受け入れられる土壌がもともと存在し、
また、ユーザーがその先に見据えるチャンネルとして、BMW、BENZがあり、結果としてドイツ車に数多く携わる機会を得た次第。

だから日本車でも低燃費と聞けばフィットだろうがヴィッツだろうが興味を持つし、
要はコンセプトがどうなのか?が一番のテーマだということに対しては否定しない。



しかし、だ。5百万円も6百万円もする車達までもが「それでいい」とは全く思わない。

国産コンパクトはデザイン無視をできる中=そこにコンセプトの中心が無い=にもかかわらず、しっかりと万人なりの外観をしてるし、
熾烈なシェア争いの賜物なのか?100万円の日本車は、コストなりに車が個性を主張しているように見えるからたいしたものだ。

もともと500万円からする車があと2〜3百万円のアップグレードでようやく手にできるSだのMだのの称号。

おい、待て。500万円は「こんなモンでしょ?」なのか?

旧車のデザイン、特にイタリアの‘それ’は未だに衝撃的で、相対的なバランスがどうのということではない、別の「何か」を強く感じる。
まずの話しがスペックなんかはどうでもいい、イタリア車はすべてを覆い尽くすだけの価値がデザインという一つのカテゴリー中にあった。



今の時代、機械(車)が機能美を持つ必要はないのか?
それは数千万円の投資なくしては得られないものなのか?

「このシャーシであれば直6からV8まで乗せることができるから幅広いニーズに対応できる」じゃ、なんか違う気がする。

今の車って何処から設計が始まるんだろ?エンジン?シャーシ?デザイン?それとも同時進行??
全く別な人間が縦割の仕事を淡々とこなして行く...そんな環境で設計されている気がしてならない。

利益率を無視しているのではないか?と思える生産体制(正気ではない)が今の時代に許されるはずも無く、
「どうだ!」という提供の仕方が今と昔では決定的に違うし、「んなの不可能!」も仕方の無い事なんだろうが、
それはそれとして、もっとこう「何か」に「何か」を決定的に感じさせる「込める」という作業はできないのだろうか?



空力と環境性能と生産効率とキープコンセプト。

古代エジプトの石碑に刻まれた象形文字の中にも「イマドキの若い者は」という言葉があるのも...判る気がする。
万人に受けるコンセプトも大切だが、個人的にはヨーロッパ車がトヨタライクになることを望んでいるワケではない。
だから、迷うSさんに「マークXなんかどうですか?」と言った言葉は、もちろん本意ではないのだ。(Sさん、ゴメン)