1990年3月 ユーロやまだの小冒険 アメリカンドリーム 第2話 タクシードライバー

ロサンゼルス空港に着き、心配そうなそのご婦人に、思いきり強がって一礼し別れを告げる。...なんとかなるさ。

どちら側が出口なのか?そんなことすらわからない。そんな時は...人について行けばいい。
人の流れに身を任せながら長い通路を歩き続けると、広いロビーに着いた。
そのロビーは(別の飛行機も到着したのであろう)かなりの人で混雑していた。
「なんだ、日本人だらけじゃん。」 そちらこちらから聞こえる日本語に奇妙な安心感を覚えた。

入国時にその目的を問われる。「観光」と答えるようにとの知識はあったが目の前の女性は当然アメリカ人だ。
島国ニッポン、それもド田舎新潟で生まれ育った自分にとって、外国の方々と話をする機会はほとんど皆無。(※あくまで12年前の話)
それどころか、たまに外国人を見ようものなら=目の前をフェラーリが通りすぎるごとく=珍しそうに振りかえっていたものだ。

元来、大勢の人前に出ることですら苦手な引っ込み思案の小心者。ましてや異国の地の初英会話。
緊張から、たかが「観光」の言葉が言えずにその場で凍りついてしまった。当然先に進めない人々がボクの後に並ぶ。

痺れを切らしたその目の前の黒人女性は..なんと 「カンコウデスカ?」 と日本語で話しかけてくれた。
YES!と答えてアタリマエなのだろうが、恥かしくも天から降りてきた蜘蛛の糸にすがるがごとく
「そうです!」 と、思いっきり元気に日本語で答えてしまった。今思い返しても顔から火が出る思いだ。
それにしても彼女から見た東洋人のボクは、そんなに日本人日本人してたのだろうか?違う。
この人にパスポート渡してるじゃねーか。そんなことすら忘れてしまうほどの緊張。

ツアー参加の人々が次々とツアーコンダクターに先導されて付いて行く。
単独で渡米してきたらしき人達も、知人らしき人に迎えられ、その場を後にする。
1時間ほど後、気が付けば人もまばらなそのフロアに残る日本人はボク一人となっていた。

こんなに孤独な気持ちは初めてだ。
あらためて、とてもとても遠くに来たんだと意識した瞬間だった。

「さて、どうしよう?」 第二の難関である。希望としてはホテルのあるダウンタウンまでバスで行きたい。
理由は簡単。無駄にお金を使いたくないからだ。タクシーに乗るお金はある。それがどう考えても一番利口な方法だ。
が、基本的にできるだけ使わないと決めてきたお金だ。数十ドルでも無駄に使いたくはない。
でもどのバスだ?先程は機転の利く黒人女性に助けられたが今度はそうはいかない。

そうはいかないとわかっているものの、どうしていいかわからない。目の前にインフォメーションセンターがあるが、
どう見ても日本語と縁のなさそうな白人のおばさんが2人、そこに座っているだけだ。ままよ、とばかりに席を立ち、
インフォメーションセンターの近くまで歩み寄るが、話しかける勇気が出ない。どう切り出そうか??と、また席に戻る。
行ったり来たりのそんなナサケナイ行動を繰り返すこと数十分、なんとか勇気を振り絞って話しかけた。

行き先を示すホテルのパンフを手に必死に説明する。なんとかコチラの意向はわかってもらえた様子だが、
彼女達の説明が途切れ途切れにしかわからない。「ブルー&レッドラインBUS、ナンバー〇〇...」
彼女達なりに、よく言葉が理解できるようにとゆっくり、ゆっくり話してくれるのだが、具体的な部分が欠落して聞こえ、
(というか、発音が聞き取れない)ハッキリとした意味を理解することができない。〇番の赤と青の線の入ったバスに乗り、
東に向かいなさい、と言っていることは理解できたが、中学卒業程度の英語力ではこれ以上は無理なのだ。

それだけわかれば十分だろう、と 「サンキュー」 とその場を後にし、バスターミナルに向かう。ま、他に方法もないのだ。

行けばなんとかなるさ。

外へ出てスグのタクシー乗り場を通り過ぎ、バスターミナルへと向かう。タクシーの運チャンはコチラを意識している様子。
なにか話しかけられたりもしたが、さっぱりワカラナイ。ボクはアメリカンな日本人なのよ、君達のチカラを借りなくたって
平気なのさ、という顔をしながらバスターミナルへと向かう。内心、「誰か助けてー!」 と叫びながら。

目の前をひっきりなしにバスが往来している。ブルーとレッドのバスは...いっぱいある。いっぱいありすぎてワケがワカラン。
ついでに言うと右からも左からも来る。右からも左からも来るということは、まったく正反対な方向に行っちゃう可能性があるということだ。
行き先を表示してある掲示板は..見当たらない。なんて不親切!日本のそれ=行き先掲示板が常識かと、世界の常識かと思っていたオレもオレ。
だいたいインフォメーションセンターで 「No13」 なのか 「No30」 なのか、不確かなまま 「なんとかなる」 と思ってしまうオレもオレ。

かくして対難関初黒星(もう負けたんかぃ!)となり、素直にタクシーに乗る事に。

タクシー乗り場には荷物を乗せるのを手伝ってくれる人がいる。荷物が無い場合なんかでも、ドアの開閉をしてくれたりするのだ。
やけにスタイルのいい、若い黒人女性がボクの相手をしてくれたのだが、「こんな時はチップやらなきゃいけないのかなぁ?」 などと
モゾモゾしてるうちに 「バタン!」 とドアを閉められ出発進行。「あっ、あ、ありゃー」 言葉の壁もさることながら、文化の違いや習慣と、
頭の中にある雑学が、回転する水面にカラフルな絵の具を垂らすがごとく支離滅裂に混ざり合う。「悪いことしたんかなぁ?」
そんな白黒すらわからないのである。

運転するドライバーに先程インフォメーションセンターで取った行動と同じように行き先を説明する。「OK」 と言われたはいいが、
「まさか遠回りなんぞしねーだろーな..」 と疑心安危。なにせ単独の冒険旅行。信じられるのは自分とお金だけなのよ。悲しい現実。
でも一歩譲って考えて見れば、この人にしたって 「ヘンな東洋人乗せちまったゼ」 なーんて思っているかも知れない。これは何か
話しかけたほうがいいかもね?そうそう、目的地まで何ドルくらいなんだろ?ハウマッチ・アイ・ウォントゥ・ゴー..うーん、単語も文法も
ワカラン。それより料金の他にチップとかいるんだろうか???...果てしなき思考の世界。

その意味不明の思考の最中、そのタクシーがある一定速度域で妙な振動を起こしていることに気が付いた。
気にし始めると、気になって気になってしょうがない。

「ジス・カー・イズ・ノー・グッド・コンディション」 不思議なくらい自然に話しかけてしまった。それも、通じるとは思えない日本語的英語でだ。
ところが、「オー、ジス・イズ・エンジンポイント。エンジンポイント・イズ・ノー・グッド!」 と、言葉が返ってきたのだ。通じるじゃん!

芸は身を助けるというが、これもその一つだろうか?なにはともあれいろいろな呪縛から解き放たれたような、そんな瞬間が来た気がした。
「アイム・フロム・ジャパン!マイ・ジョブ・イズ・カー・メンテナンス・メカニック!」 いま考えると、こんなんでよく話しかけたなぁ、という
和製英語のオンパレードである。でもしかし、更に驚くべきことが続く。「ワタシ、ソウオモッテマシタ」 ひぇ〜!!日本語!!
「なっ、なんで話せるんですか??」

彼曰く、「シックス・イヤーズ・ゴー、ロクネンマエマデ、キョウトニイマシタ。サンネンカン、シゴトデ、キョウトニイマシタ。ニホンゴ、スコシ、
ハナセマス。」 すっげー!いや感動。難しい日本語を話せるなんて、こんな頭のいい人がタクシードライバー!...恥かしながらこの時
本気でこう思ってしまった。なぜ 「思ってしまった」 なのか?それは次の出来事からそう思うに至るのである。

そのタクシーの隣りに、そのドライバーの知り合いらしきタクシーが並ぶ。窓を明けて話すその言葉は..理解不能。
「今のはどこの言葉ですか?」 そう尋ねると 「アフリカン」 だと言う。いったいどれくらいの言葉が話せるのだろう?
「ハウ・マッチ・ランゲージ・キャン・ユー・スピーク?」 の問いかけにその黒人男性は
「イングリッシュ&フレンチ&ジャパニーズ&アフリカン&..メキシカン。ファイブ・ランゲージ」 と答えたのである。

そう、これも文化なのだ。日本語はともかくとして、(これはやはり難しいだろう)生活していく上で必要に迫られ、あるいは
経験することが、島国のそれとは根本的に違うのだ。頭の良し悪しではなく、言葉の必然と実用レベルが違うと考える。

まさにカルチャーショック。

東レの京都工場で働いていたことや、楽しかった思い出話しなどを聞きながらの道中は、
行く宛てのない寂しい自分にとってもなんとも楽しいひと時だった。

宿泊ホテルが近づくにつれ、アポイントメントはとってあるのか?チェックインは〇時からが普通だから、それまで大丈夫か?
そうそう、ロスに来たならあのステーキ屋に寄って行け。あそこは〇年間無休でやってるんだ。。。などなど一生懸命話しかけてくれた。

ホテル前での別れ際、コチラの事情を話したことに対して 「グッドラック」 の一言。なんともカッコイイではないか。
そう、いよいよ自分との戦いの幕が開く。本番開始なのだ。

1990年3月 ユーロやまだの小冒険 アメリカンドリーム 第2話 タクシードライバー 終