1990年3月 ユーロやまだの小冒険 アメリカンドリーム 第1話

もともとあまり気の長い方ではない。世間一般並の(といっても基準はいろいろ?)
男性諸氏と変わらない短気である。「ぜんぜんそんなふうに見えませんよ」 と言われるようになった今、
ボクも人並みにオトナになったということか。

89年の冬、7年間勤めていた会社をやめた。理由は...今考えれば笑うしかないのであるが...
とても人に胸を張って言えるようなことではない。独立心旺盛でスパナ一本で飯を食うつもりだった
と言えば聞こえがいいのであろうが、もちろんそんなご立派な事情ではないし、あたり障りのないように
言うなれば、世間からはじき出されたとでもしておこう。

90年の春、大韓航空ロサンゼルス行きの飛行機に飛び乗り、一路カリフォルニアへ。
「なぜアメリカなんですか?」 ってよく聞かれた。ヨーロッパ車をやろうと決めてはいたが、ドイツやイタリアじゃ
言葉の壁が厚すぎる。911やビートルなんかはドイツ車のくせにアメリカでしっかり根付いているではないか?
と、無理矢理話しをこじつけた。かなり無理なこじつけではあるが、もともとアメリカ行き自体に特別な理由などないのだ。

第一ヨーロピアンドリームなんて聞いたことがない。やっぱしアメリカンドリームなのだ。

自信のない自分にオサラバできればそれでいい。
行けばなにかを経験できるような、漠然とそんな気がしていた。

ボクなりの今回のアメリカ行きの解釈はこうだ。行きと帰りのエアチケットを手配する。現地での拠点となるホテルの予約は一週間。
その間に皿洗いでもなんでも仕事を探す。アメリカで3〜6ヶ月を過ごす。無事数ヶ月を過ごせたら勝ち。一週間でなにもできず、
帰ることになったら負け。手持ち金は現金1000ドル弱。念の為のトラベラーズチケット3000ドル。日本円にして計約50万円。
なにかしらの仕事にありつければ手持ち金を増やして帰れる、そんな理屈である。

そう、やれそうにないことをやってみよう。

ついでに言うと、飛行機が飛ぶというのが許せない。どこぞの空港の反対派という意味では、もちろんない。
俗に言う 「鉄の塊が跳ぶ」 こと自体が許せない。よくそんなんでメカニックやってるね、とも言われたりもしたが、
だからこそなお許せない。ネジは緩むし、機械は壊れるものなのだ。ヒコーキに乗る事からしてボクにとっては
絶体絶命、命がけの大冒険だった。(なにも考えずに乗れる人、尊敬します)

滑走路を行く機体はボクにとって第一関門の始まりを意味する。窓に目をやると視界に翼が見える。
その翼は...ゆれている。そうさ、揺れるのさ。これで応力の分散なんかしちゃってるんだろうな。
いや、こんな揺れていいんかな?だって異常なら誰か気づくべ。いや待て。もう一回点検した方がいいだろ、おい、
飛ぶんか?おー、エンジン全開。これが外燃機だ!うわぁー!もう遅い。ひぇー!!助けてー!!!おーーーーっ!
...飛んだ。飛んでる時の翼はビックリするくらい反り返っている。折れそうだ。折れないでくれ。うわっ!
..高度を維持した途端、エレベーターのあの感覚がカラダを襲った。

成田を出発して数時間は機体は安定飛行していた。ほんの数時間だけである。
すべてが初体験のボクにとって、あの乱気流飛行というのは最も思い出したくない経験の一つだ。
突然 「ヒュィーン!」 というエンジンが唸る音とともに機体が落ちて行くのがわかる。間違いなく落ちてる。
そしてその 「ヒュィーン!」 が爆音のように唸るとともに上昇を始める。その数秒後、再び 「ヒュィーン!」
あぁ、たぶん辿り付けない。あとから航空機に詳しい人から話しを聞くところによると、ヒドい時には
エアポケットに入った瞬間、数百メートルも落下するそうだ。知らなくて良かったのか、悪かったのか...。

ロサンゼルス行きの飛行機の中で隣りに座った年配のご婦人がいた。そのご婦人は単独での搭乗らしい。
きっとなにかしらの伝や知識があってのアメリカ行きなのだろう。どう見ても東洋人なのであるが、
機内で出される食事の受け答えなどは当然英語なワケで、日本人なのか中国人なのか韓国人なのか..。
同席したからといってなれなれしく話しをするのもはばかられる。かといって行き帰りのエアチケットと
ホテルを1週間だけ予約しただけのボクにとっては全てをチャンスと思わなければ明日がない。思いきって話しかけてみた。

「あのー」
「はい」
「あっ、日本の方ですか?」
「あ、そうです」
「お一人ですか?」
「はい」
「どちらまで?」
「ロスに弟がおりまして...」

彼女の弟さんは若くしてアメリカへ渡り、いろいろと苦労を重ねた末、今は小さいながらもアメリカで電気屋さんを営んでいるらしい。
ん?いきなりチャンス到来?? 本当は自動車関連の職にありつければベストなんだろうが、もともと皿洗いでもなんでもやってやる!
くらいの気持ちで来たんだから、こうなりゃ電気屋でもなんでもいいワケだ...などと身勝手な妄想は留まる事を知らない。

あてのない旅であること、数ヶ月の予定であること、出身地、年齢、etc..と、いろいろなことを話した。
彼女なりに何か感じてくれたのか、はたまた礼儀からなのか、「行くところもないんだったら弟に話してみようか?」 ということになった。

まてよ...。ここでちょっと考えた。

彼女にとって、どこの馬の骨ともわからないボクの存在は基本的に無用なハズだ。第一久しぶりに会う弟さんにどう説明がつくと言うのだ?
この子ちょっと変わった子なのよ、あんた面倒見てやってよ、とでも言ってもらうのか? 日本で著名なショップ巡りをしてタダ働きしながら
自信をつける、という冒険も考えたのだが、簡単にできそうだった(というより、なんとかなりそうだった)のでそれはやめた。それと同じ、いや、
それよりカンタンなことを選ぼうとしてはいないか? 答えは決まった。

眠っているのか起きているのかわからない、あやふやな数時間の睡眠の後、機内で目覚めると眼下にアメリカ大陸が見えた。
その大陸の端から朝日が昇ってくる。始めての、それも飛行機から見る大陸と朝日はまさに神の視点。うーん、映画みたい。
その光景は12年を経た今でも鮮明に覚えている。 こいつぁ縁起がいいや、などと呑気なことを考えてられるのは、
ほんのこの一瞬だったかもしれない。

1990年3月 ユーロやまだの小冒険 アメリカンドリーム第1話 終